明智光秀の失敗
明智光秀の生誕については、正確な日付が未だに不明。
1516年との説と、1528年説があるが、分からない。
本能寺の変より13日後(1582年)に亡くなっているので、54~66才まで生きている。
戦国時代としては高齢である。
しかしなぜ織田信長を殺害したのか。
理由も充分解明されていない。
黒幕がいたのか?...幕府、足利義昭、徳川家康、豊臣秀吉...
△明智よりかなり年下の、信長のつね日頃の暴力的パワハラに頭にきていたのか?
△信長の四国遠征の命令に、行きたくなかったのか?
△人質の幼子を信長に依頼したのに、信長がその幼子を殺害したからか?
△自分が天下を取りたかったのか?
△黒幕とうまくやろうとしたのか?
どちらにしても、本能寺の変は余りにも短絡的すぎる。歴史上に言われているように明智光秀は、決して頭の良い人物ではない。むしろ愚鈍だ。
理由は多数ある。
▲織田信長の性格を読んでいない
細川藤孝を説得して織田側に引き入れた明智であるのに、自分より10歳近く年下の信長の性格は読んでいない。
△10歳下なら、いくら能力がある信長でも、性格を読んでいたら、手のひらで転がせる。
△直情的、短気、無理難題を押しつける、この信長の性格は、現代の有能な経営者の中にも時々いる。
△こういうタイプには、余計なひと言は絶対禁物。
光秀が信長に功績を誉められて、
ー苦労の甲斐あったー
と言い
このひと言で激昂した信長に、頭を橋の欄干に打ち付けられたというが、
元々光秀は少しお喋りの傾向があったのでは。
光秀と信長、トランプとボルトン、全く合ってない2人。
△余計なひと言を言わず、寡黙に実践だけしていたら、光秀は暴行など受けることなく、むしろもっと上位に取り立てられていたであろう。
△或いは信長のような性格は、秀吉のように、ゴマスリ一辺倒でいくか。
△人の性格を読まず、自分を(ありのまま或いは不用意に)出す人は、相手をコントロールするなんてとても無理。
▲織田側に勝つための秘策がない、根回しがない、同盟者がいない
本能寺の変の前後に、筒井順慶、細川藤孝に援軍を頼んでいたというが、援軍は一切来なかった。
(天才織田信長が生きていたらどうなったか?
しかしいずれ老獪徳川家康の時代が来た、
にしても明智は時代を少し変えたのは確か)
▲豊臣秀吉の軍勢を計算に入れていない
毛利側と戦っていた秀吉は、信長が明智に討たれるの情報にすぐ上洛、あっという間に光秀の軍勢を撃破した。