大阪城は3度築かれた

 

元々大阪城は、石山本願寺(1533年築城)の有った場所。

石山本願寺は安土時代に多数の信者を配し、巨大な富を蓄え、細川家他の武将たちと同盟を結び、信長相手に長い抗争をした寺院。

 

信長がこの石山本願寺大阪城を落とせなかったのは、戦さに有利な設計のこの大きな城郭に有った。

 

劣勢となった最後の本願寺住職教如は、大阪城に自ら火を放ち逃走したと言われている。

 

浄土真宗の寺院であったが、堀や高い土壁に囲まれていたので、大阪本願寺大阪城と呼ばれた。

この時の高さは33m。

 

秀吉は1585年、自らの精魂を込めて、この本願寺あとに新たな大阪城を築城。金箔を多用し、贅を極めた。この時の高さは40m。



f:id:ainisi:20200916220521j:image

しかし秀吉の築いた大阪城も、大阪夏の陣(1614~1615)で、徳川家康に破れ消失する。

 

現在の大阪城は、徳川2代将軍秀忠が、徳川幕府の要衝として、消失した大阪城の上に1626年に完成させた。このときは一気に58mになっており、これが現在の大阪城である。

 

日本の城の中で最も訪問観光客が多い城。

年間約23000人が訪れる。