日本のプロ野球は彼で発展した おかしな野村捕手
この人でプロ野球は大いに発展した。
まさにプロ野球中興の祖とも言うべき人。
顔や学歴、物言いでは想像つかない考えの卓抜さ。
クイックモーションや牽制の仕方、投げ分けるコースの配分まで、今も野村の考える野球は生きている。シンキングベイスボールを本格的にスタートさせた人だ。
野村は選手(捕手)の時、バッターにささやき戦術で有名だったという。
△白という選手は、ささやきが嫌で、耳栓をしてバッターボックスに立った。 しかしそれでも気になって打てなかったという。
△大杉という選手には....いい加減にしろ!.....と返された。
△長嶋さんは、調子悪そうだなと言うと、素振りを2~3回したあと、いきなりホームランを打った。
調子悪そうだな、というのは、長嶋さんの調子を崩そうとして言った言葉。ホームランされるとは。
△王さんは、幾ら呟いても我関せず。ささやきが耳に入ってない。来るボールに集中している。やはりよくホームランを打たれた。
ささやきネタを銀座や、北新地のクラブで、バッターボックスに立つ選手のものを、ホステスが聞いた話から仕入れていたというから笑える。
野村は1965年に3冠王もとっている。これは捕手の打者としては、世界で初めてらしい。本塁打王9回、ベストナイン19回も獲得。
王さんに次ぐホームラン数である(史上2位)というから、体は175cmと大きくないが、現役時代は相当の強打者である。
私はジャイアンツ ファンでパリーグでの野村の現役時代はは知らないが、野村はヤクルトの監督としても成功したと思う。
野村は今年2月に85才でなくなっているが、そのシンキングベイスボールは、矢野、高津、工藤、石井、古田、江本、岩隈など多数の選手(現在は監督、解説者、評論家、コーチ等)に受け継がれている。
野村のような考える野球のプロフェッショナルがいたから、日本人選手が世界で通用する時代が来たのである。