A君と杉村太蔵その後
A 君の高校の初恋、大学のA君(以下A )の記事は前に書いた。ところでA はその後どうなったのか。
大学を卒業したAは、
△就職をする
△父の仕事を手伝う
△在学中取れなかった資格をとるために、バイトしながら2~3年勉強する
のどれか選択になった。
そこでAは父親に相談をした。
ー就職か手伝いかだな。ー
父親はそう言ったが、父親の表情は、手伝ってほしいという顔だった。
A は1日考えた。
そして父親を手伝う事にした。
父親は今まで、いつも自由にさせてくれた。
いつも好きなことをやらせてくれ、その資金まで出してくれた。
大学時代も勉強に専念出来るように、バイトなんかしなくて良いようにと、小遣いも人一倍くれた。
本当に良い親父だった。
その小遣いが参考書を買うより、遊びに消えたのは後悔している。
親父の1番良いところは、子供に細かいことをいっさい言わないことだった。
母親は、ちゃんと本買ってるの?、単位とれてる?、女の子と遊ぶのいい加減にしなさいよ、と口うるさかったが、父親はほとんど何も言わなかった。
恩返しの積りでやろうと思った。
卒業すると、すぐ父親の会社で働き始めた。
自社ビル
従業員数約50名
設計、監理の仕事
従業員はみんな親切で、社長の息子だからといってやっかむ者もいなくて、気分よく仕事が出来た。
覚える事も沢山あって、毎日が忙しかった。
憧れの杉村太蔵さんのように、衆議院議員になれるわけないし、とにかく父の会社で一生懸命働くだけだった。
杉村太蔵さんのように、2また3また当たり前、したこともあったが、今はひとりの女性と付き合っており、忙しくて、日曜にちょっと会うくらい。
彼女とは、このまま付き合っていたなら結婚も考えなければならない。親父は事業を継承するつもりなら、結婚は早いほうが良いと言っていた。そのつもりではいたが、まだ彼女の意志も聞いていないし、もう少し仕事を覚えなければならない。
彼の仕事は営業だった。
親父によると、お客さんを相手するのが上達すれば、あとの仕事は簡単に覚えられる。ということで、いきなり営業。
ただ、設計についての詳細は分からなかったので、一級建築士が同行してくれた。
ある意味至れり尽くせりだった。
自分が恵まれているのが、会社で恥ずかしいくらいだった。
全員良くしてくれるし、変なやっかみがない、おおらかな雰囲気は良かった。
東京でも郊外地の会社だが、業績は住宅需要があったので伸びていた。
(続く)